ノスタルダムスの予言−タブロイド判のトップ
ノスタルダムスの予言は大衆文化の中で最高の人気です! 世界の出来事や問題が困難な最高潮に達すると人々は16世紀周知の“予言者”がなんと言っていたかそのタブロイドに殺到するのです。9月11日、ワールド・トレイド・センターとペンタゴンが攻撃された後、ノスタルダムスはインターネット利用の最も人気ある質問サイトだったのです。するとすぐに、Eメールを通してノスタルダムスの予言は全て起きていると言う主張が流布されました。ノスタルダムスがなぜカルトの人物になったのでしょうか?
ノスタルダムスの予言−“予言”のバックグラウンド
ノスタルダムスは1503年12月14日、フランスはセント・レミイにあるミカエル・ディ・ノスタルダムに生まれました。少年時代、彼は多くの時間を祖父と過ごし、語学、数学、天文学、そして占星術を学びました。アヴィニヨン大学では一般教養学を学び、その後モンベリエ医学大学を卒業しました。彼は薬学も学び、1534年モンベリエ周辺の疫病患者の治療に成功しました。初めの結婚で二人の子供が生まれましたが、それから間もなく疫病で家族全員を失い、その後ノスタルダムスはヨーロッパを6年間旅行し、二度目の結婚から6人の子供が生まれフランスのサロンに落着いたのです。
1555年、52歳になったノスタルダムスは最初の予言のセットとして、100にのぼるコレクション“4行詩”とよく知られた“センチュリー”を執筆しました。1564年にノスタルダムスはキングチャールズ9世の王立医師に指名されその後1566年の死まで、10世紀までの予言を執筆しました。
ノスタルダムスの予言−最も有名な例
ノスタルダムスの予言は主にフランスで書かれたものの、彼は多少のラテン語、ギリシャ語、そしてイタリア語を投入して意味を分かりにくくし、また4行詩では、シンボルや、無益な比喩を用いた方法で不明瞭にしたり、予言の言葉の間違いもしています。おもしろいことに、今日流布されたノスタルダムスの予言と呼ばれている多くは、世界の主要な出来事に合わせて原本の4行詩が切り刻まれ聞えの良いように継ぎ合わされています。例えば、テロリストの攻撃のあった9月11日直後、多くの疑わしいノスタルダムスの予言の流布がインターネットとマスコミから始まりました。次はいくつかの例です:
“新しい世紀と第九の月、空から偉大な恐怖の王がやって来る...空は45度で燃え上がり、その炎は偉大な都に襲い掛かる...”
ヨークの都は大きく崩壊するであろう、二つの塔は四分五烈し、要塞が倒れる時偉大な先導者は屈服し、その都が燃え盛るとき第三次大戦は始まる“
“まさしく三百五十年先の予言であり、銀色の不死鳥は攻撃され双子の兄弟は圧倒され、王である国民が世の終末を運んで来る。神の都に大きな雷鳴が響き、二つの兄弟は混乱して四分五烈する”
ノスタルダムスはニューヨークのツイン・タワー攻撃を予告したと思いますか? いいえ、この4行詩を書いたのはノスタルダムスではありません-それらは変にねじ曲げられその出来事に合わせられたのです。例えば、最初の例でこう言っています“新しい世紀の第九の月、”しかし、ノスタルダムスの4行詩原本は“1999年と第七の月、危険で力に満ちた王が空からやって来る”(センチュリー10:72)であり、“双子の塔”も“四分五烈”するなどとは言及していません。実際の4行詩は、“国王の兄弟は何度も互いに敵対し合う”となっています(センチュリー3:97)。最後に、ヨークの都が崩壊し空は燃え盛る、については、“天国は45度と50度に燃え盛り、その炎は偉大な都に近づき…ノルマン達の痕跡を残す”(センチュリー6:97)。このように全く言葉は違っています。ノスタルダムスは後にも先にも“予告”または“大きな戦争”について言及してはいないのです。